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ACCESSORY

商品コード: 20NT-KM013K10YG〜20NT-KM013S

20NT-KM013 : PENDANT / JHS & ルルドの泉のマリア

※MATERIAL :
・20NT-KM013S (SILVER TYPE) ¥10,750-(+tax)

※サイズ 
・20NT-KM013S
縦 約 30mm(バチカン含む)
横 約 21mm
バチカン(チェーンを通す部分) : 約 5.8mm(内径)

※品切れ中の場合は、製作致しますのでメール、
もしくは電話にてお申し付け下さい。
納期は2〜4週間となります。
Tel : 03-6804-9602
Mail : galciacc@gmail.com

※素材にK10,K18を使用している商品は、地金相場が不安定の為
SOLD OUTになりますと、次回の商品入荷の際、上代が変動する
事があります。
オーダーされる場合も同様ですので見積もり確認後、ご注文お願
い致します。

PRICE(tax in) 11,825〜63,800 円

通常価格: 10,750〜58,000 円

ポイント: 537〜2900 Pt

MATERIAL TYPE:
申し訳ございませんが、只今品切れ中です。

ビンテージのメダイから型をおこしてますので、
ディティールがはっきり出てない部分もあります。

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ルルド

ルルド(Lourdes) は、フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈のふもと、フランスの南西部のオート=ピレネー県の人口15000人ほどの小さな町。「ルルドの泉」で知られ、カトリック教会の巡礼地ともなっている。

ルルドの泉
1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ベルナデットとも)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人[1]を「あれ」と呼び、聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。

聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデッタが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。 神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデッタに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルードの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」(QUE SOY ERA IMMACULADA COUNCEPCIOU=私は無原罪のやどりである(当時のフランス語でJe suis La Immaculée-Conception.))という言葉であった。

これによって神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。 「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年だが、家が貧しくて学校に通えず、読み書きも満足にできない田舎の少女が知り得るはずもない言葉だったからである。

以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。[2]この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。

ベルナデッタ自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入って、シスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送った。ベルナデッタは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていた。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べている。

また、スタンデンというイギリス人が、町中の人々が情熱を持って話している洞窟での治癒の奇跡についてベルナデッタに話したが、彼女が奇跡に関して無関心であったことに考えさせられたという記録がある。行きすぎたことの嫌いな彼女は話を簡単にしてしまい、はじめ「この類の話に、本当のことは何一つありません」と言うのであった。この後にも、ある訪問者に奇跡について聞かれた際、彼女は無関心な態度を示して次のように言ったとされる。「そういう話は聞かされたけど、私は知りません。」驚いた訪問者が真意を正すと、彼女はこう答えた。「私はじかに見ていないので、知らないと言ったんです。」泉に関連した治癒は当初から何件も報告され、医者がその奇跡性を認めざるを得ないケースもいくつもあったが、ベルナデッタはこれに関与していなかった。しかし彼女がそれを信じていない、あるいは否定したという発言も残っていない。彼女自身は、気管支喘息の持病があったが一度もルードの泉に行くことはなく、より遠方の湯治場へ通っていた。1879年、肺結核により35歳で帰天(病没)し、1933年に列聖されている。また、彼女が見た「聖母」は、ルードの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデッタに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、ベルナデッタは近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルードの泉の始まりである。彼女の遺体は腐敗を免れ、修道女の服装のまま眠るようにヌヴェールに安置されている。

参考チェーン
NC-A08 / 55cm

・NT-KM013K10YG (K10 YELLOW GOLD TYPE) ¥ASK-
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